ある雨の日。フィラデルフィアで球場に行く途中、入場口直前の道がとても混んでいた。
見ると駐車場に入れず、待っている車の列が渋滞を作っている。
その合間を縫うように、ファンの人々が列をなして球場に向かって歩いている。
「ママ、なんでこんなにこむの。このくるまはじゃまだねえ」
寛が後部座席でつぶやいた言葉にカチンと来た私は、車を路肩に寄せた。
「この車はみんな、野球を見に来るお客さんの列なの」
「寛くんみたいに、球場の中に車を止められないの」
「でも、フィリーズの野球を見るために、
こうやって並んで、遠くの駐車場から雨の中を歩いて、来てくれるの」
「その人たちがいなかったら、プロは野球ができないのよ」
「いつでも好きに車を止められて、球場に好きなときに行けて、選手と遊んでもらえて…
それは全部、とても特別なことなんだから」
当時4歳の子供にまくしたてた、その言葉のどのあたりまで汲み取ってもらえたのか、定かではない。
しかし「ぼくのパパはファンのひとのおかげでベースボールができる」
「ぼくがかんたんにきゅうじょうにいけるのはパパのおかげだから、
つまりファンのひとたちのおかげ」ということを、おぼろげながら感じ取ってくれたようではあった。
それ以来、球場周辺で多くの人たちを見るたびに、
「ママー、うれしいねー。きょうもいっぱいきてくれたねー」と言うようになった。
そうね、ありがたいね。どうかその気持ちを忘れないでいて。